言葉のユートピア

私ヤス王(小学校の時に作ったネガティブ漫画のキャラクター名)が、いろんなことを書きたい。残したい。笑わせたい。吟味したい。感動させたい。カンボジアの隣はタイ。という思いからできたのが本ブログです。ユートピアはギリシア語で「どこにもない場所」の意味。その地上の何処にもにない場所に言葉にのって行けるように日々、綴ります。

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場所: Japan

大学四年生、文学部。

2/04/2007

昭和3年の本

僕の家から一番近い古本屋さんは,小学校のときから通学路の途上にある。その古本屋さんはいかにも古めかしい建物だったので一度も入ることはないままだった。先週散歩をしていてふと気にとまり,その古本屋に入った。もう読まれることの無くなった,漫画や雑誌や単行本が堆く積まれていて,背表紙すら見えないほど,過去の言葉達がひしめき合っていた。同時に絵も誰の目にもさらされることなく,ごく単純にそこに安置されていた。文化の墓場,屍だらけの本屋の中に,光るものを見つけようとする。僕は墓堀人夫なのかもしれない。死屍累々たる書籍の中で不毛な穴を掘り続ける人夫だ。その中に,薄汚れた漱石全集第一巻の『吾輩は猫である』と書いてある初版本を見つけた。ページは所々紙魚に食われており,点々と赤茶色の斑点が紙からにじみ出ている。店主のおばあさんは,終始これらの本が売れても売れなくても自分に関わりのないことだという態度を貫き,「単行本は全て300円,文庫本は3冊で200円」と愛想無く言った。漱石全集の初版本が高いのか安いのか私にはよく分からない。おそらく価値のないものなのだろう。本を愛さない人々が,本に対峙するときの冷淡な態度は,僕にとっては心地よい。なんといっても僕は物好きな墓堀人夫なのだから。その僕ですら,この本を正規に読もうとしているのではない。単純に,旧漢字体に隈無くふりがなが振ってあり,それが漢字の勉強の足しになると思ったから買ったまでだ。手に取る人により,書物は別の地平を開くことになるのだろう。そう考えながら,今僕はこの昭和3年の本を手に取る。80年近い年月が僕の空気の中に流れ込んでくる。時を超えるということはこんなにも新鮮なことなのだろうか。ページを開くときの埃でさえも愛しい。時を超えることはこんなにも疵つきやすく,温かいことなのだ。そして,いま,僕はタイプしているこの画面に違和感を覚える。ここに時間性はあるのだろうか。