言葉のユートピア

私ヤス王(小学校の時に作ったネガティブ漫画のキャラクター名)が、いろんなことを書きたい。残したい。笑わせたい。吟味したい。感動させたい。カンボジアの隣はタイ。という思いからできたのが本ブログです。ユートピアはギリシア語で「どこにもない場所」の意味。その地上の何処にもにない場所に言葉にのって行けるように日々、綴ります。

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場所: Japan

大学四年生、文学部。

12/25/2005

賢者と赤子 in mixi

世の中に頭のいい人もいっぱいいることが分った。
知らないことをたくさん勉強させてもらいたい。

頭のいい人に共通していえることは、
さらっと奥深いことを言うことではないか。
と直観的に思う。

しかし、ここで気をつけねばならないのは、
難しい言葉でしか語れないこともある
という事実に目をそむけないことだと思う。

日常会話レベルで難しい言葉を遣う人間は下劣だが、
そのレベルを超えた言語表現(わけても言語芸術)
をしようとするとき、
おそらく難しい言葉も必要だ。
(特に三島由紀夫を読んでそう思った。)

ところで、本当に頭のいい人はどんな人か。
赤子には赤子の、賢者には賢者の言葉を遣う人
だろう。たぶん。

しかし、これにも当然例外があって、
教える(教育、啓蒙、教化を含む)ときには
赤子の言葉に賢者の言葉を交ぜたりしないといけない。

人形劇の脚本を書いていたときに私が思っていたことは
こういうことでした。

で、このmixiのなかで私は赤子。

いろんな言語で「全て」

もうちょっとちゃんと調べてから言うべきかもしれないけれど、

al っていう音は、全能な響きを予感させるものなのかもしれない。

アッラー、all、aller、オーロラ、あらゆる、

など、「全て」って意味から派生してるとしたら、

バベルの塔を作っているときに人間が話していた言葉で、

alっていう音はかなり神を差すのに近い言葉なのかもしれない。

中国語、韓国語、タイ語、ギリシア語、サンスクリット語、
などなど、で「全て」っていうことばをご存じの方、
是非、発音を教えてください。

声 小林武史の世界観

女の声だったら、
好きな歌いっぱい歌えるのに。
男ですから。

山口百恵とMYLITTLELOVER
いいね。

不意に風がいいことしようって囁く

ってとこのリズムが好き。

結局、ミスチル好きだし、レミオロメンも好きだし、真夏の果実も、涙のキッスも、MYLITTLELOVERもすきだ。
結局は小林武史の世界観ににやられてるわけです。
私は歌詞を重視する傾向にあります。

今日リクエストを聴いてくれた方に感謝。
ダンケシェーン。

12/22/2005

殻を脱がない蛇は死ぬ

卒論が終わったからといって、
何一つ問題が解決したわけではない。

はやくこの殻を破って、脱皮しなければ。
卒論を書いていて思ったのは、
私は馬鹿なんだということだった。

お世話になった本たちの著者は図らずも東大出た人の本ばかり。
世間で言われているほど東大の人は世間ずれしてないぞ。
というか、とてもまともなことしか言わないんじゃないだろうか。

論点がずれた。
卒論書いた結果、私は研究に向いていないことが分った。
結局私は、創りたいのだ。

何個か学部で卒論というものを見せてもらったけれど、
率直にいって「調べ学習だな。」と思った。

自分の頭で考えてない人が8割。

批判するにせよ、同意するにせよ、
自分で考えてから結論だしなよと思うことがたくさんある。

ただ、考えること自体が嫌いという人もいて、困ったもんだ。

また論点がずれた。
とにかく、殻を脱がない蛇は死ぬ。
自分の書いた卒論の地平から一歩踏み出ねば。

ショーペンハウアーの比喩について

出した。
出した後で幾つか誤字があってやばいけれど。

凄くすっきりした。

あと、書くことがこわいと思ったのは初めてだった。
でも書くことは愛しかった。

まえがきだけ載せておきます。
ここが一番まとまってて引き締まった文章なので。



まえがき

本論文は、ショーペンハウアー が比喩をどのように捉えていたのか、またどのような比喩を創作したのかということについて思索したものである。

私は主にショーペンハウアーが1851年に刊行した著作、„Parerga und Paralipomena>Ⅱ<”を読解する。

この作品の中には、いたるところに比喩がちりばめられている。

また、比喩の創作のみならず、比喩や言語についての見方も言語哲学的な内容を含んでいる。

ショーペンハウアーは、後に登場するニーチェ やヴィトゲンシュタイン といった現代の言語哲学的な考察における先駆者にも多くの影響を与えている。

私が持った視点は、彼ら二人、あるいは私たちの時代の言語的な問題の芽が既にショーペンハウアーのこの著作において表れているのではないか、というものである。

言い換えてみれば、私が本論文で目指すことは、signifiant(記号内容部)はsinifié(記号表現部)から離れて抽象的に存在しているのではなく、表現は内容を形づくる本質的な側面であるという事実への再認識からショーペンハウアーの比喩に対する態度を考えるということである。

伝統的に哲学は比喩を「ただの比喩にすぎない」と考える傾向が根強くある。
率直に私はこのような考え方に不満がある。

なぜなら、「言葉は言葉にすぎない」あるいは「比喩は比喩にすぎない」という認識は、特にデカルト以来定説となった「言語衣裳観」の権化であるからだ。

本来、ことばの形式はことばの内容と同時に生成するはずであって、ことばの内容がことばの形式を後から衣裳のように着るのではない。

佐藤信夫が言うように、もともと言語の意味というものは、かなり弾性的 で、遊動的 であるはずである。

この漂い、戯れる意味をコンテクストの中でなんとか明確につかまえようとするとき、著作家は比喩という技術を用いるのではないだろうか。

著作に命を燃やし続けたショーペンハウアーは、比喩はただの比喩にすぎないと考えながら著作を書いたことはおそらくないであろう。

実は、比喩こそ真理を指し示すための唯一の表現なのではないか。

ショーペンハウアーもこのように考えたからこそ、後期著作において比喩を多用し、直観にうったえたのではないか。

こういった考えが、私が本論文を書く動機になった。



この部分の注

ニーチェとショーペンハウアーとの関係については

「『真正の哲学者』を求めて鬱々と過ごしていた当時のニーチェにとって、ショーペンハウアーとの出会いは電撃的な作用を及ぼした。」(大石・『ニーチェ事典』・S.285)

「ショーペンハウアーの哲学を『概念詩』として、つまり芸術として、力として肯定的に評価しようとする。」(大石・『ニーチェ事典』・S.286)

を参考にして述べた。

ウィトゲンシュタインとショーペンハウアーの関係については

「ハッカーはよく問題となる『論考』にみられる独我論が、ショーペンハウアーの超越論的観念論から理解できるとしている。ウィトゲンシュタインの独我論とは、『私は私の世界(小宇宙)である。』(『論考』,5.63)のように、私と私の世界とを同一視するものである。

これは『私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する』(『論考』5.6)からくるもので、世界は私の言語によって語られるものであり、したがって世界は私の世界となる。しかしここにおける私、つまり主体は、世界に属するものではなく、世界の限界なのである。」(山本・『ウィトゲンシュタイン小事典』・S.249)

を参考にして述べた。


 意味分節の弾性について説明をする。佐藤信夫(ロラン・バルトの研究者でもある。)は、意味は弾性的状態にあると自ら呼んだ後、次のように言う。

「意味の弾性という呼びかたは、所詮隠喩である。弾性という言葉はなるほどしなやかさと変化と復原力を思わせるけれど、やはりバネやゴムまりのような、確かな表面―そのものと外部との境界面―をそなえた物体を表象させがちである。

しかし、意味にはもちろん、明確な表面はない。分節はおぼろげである。(にもかかわらず、シニフィアンの強制によって、おぼろげながら境界をもち、分節されている)。空間的に表象してみるほかはないとすれば、それはたぶん、なぜか分節性の感じられるような状態にある雲、または縁日の綿菓子―バルバ・パパ―のような・・・・・・しかし雲や綿菓子には風船のような弾力性がない。
ことによると意味は≪パースナリティー≫のような概念かもしれない。

意味は、ときどき、まさかあの人が・・・、あの人に限って・・・というようなふるまいをみせるから。意味とは、あいまいな自己同一性への期待のことである、と言ってみたい。」(佐藤・『意味の弾性』・S.284)

 統語上の意味の遊動性について説明をする。(佐藤信夫『意味の弾性』・S.299~S.354)の内容を私なりにまとめて一言で言うと以下のようになる。

われわれが話すとき、普通、文法によって統語的選抜をする。がしかし、この選抜は転換、すなわち統語的変異化によって品詞の変化をかなり許容してしまう。

したがって、意味は統語論から離れ、そこからかなり自由な場所にある。

これが佐藤信夫が述べる意味の遊動性(意味の奪い合い)である。

 解釈と言った時点で既に錯綜とした問題に踏み込んでしまうが、私は以下のような記号を現在の私自身に引きつけて解釈するという立場をとる。

「ディルタイにとり,歴史の文献や史料は〈生の表現〉であり,歴史学は記号を通して他者の生を了解するものである。彼は自然科学の科学性に匹敵するものを〈精神科学〉にも与えようとした。

そして自然科学的認識の特質が〈説明〉であるなら,歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は〈了解〉であるとし,〈了解〉の技術学として解釈学を構想した。つまり解釈学は精神科学の基礎づけの役割を担うものである。こうして,哲学することが解釈学となる解釈学的哲学への道を踏みだしたが,同時に前述の難問も深刻化した。すなわち記号の解釈を通して,いかにして他者の生を了解するか,である。」(『ネットで百科』久米博著「解釈学」の項)

ロラン・バルトについては、日本でのロラン・バルトの研究者であり、自らも思索者であった佐藤信夫氏のバルト像に頼り切っている。

それが、「バルト風」の意味である。この理由のひとつには私自身がフランス語が分からないということ、もうひとつにはバルトなる人物は定まりきらないため、佐藤の視点で定点観測しなければ、この序論に収まり切らなくなるという事態になるためである。

この点に関してはニーチェにおけるパースペクティヴィズムの問題について、多岐にわたる議論がある。私はここで、永井均『これがニーチェだ』S.123の

「『パースペクティブ』は従来『遠近法』と訳されることが多かったが、私はたんに『観点』とか『視点』の意味だと思う。」

という考え方に同意する。



はい、自己満足(笑)

こんな時間に理性と悟性

理性類比者

ということばを見てなんかいいなぁ。
とおもった。

文章を書いているとき、
使っているのは理性なのか悟性なのか???
ことばは流れてくるけど、頭の中には心象(ファンタスマ)
があるぞ。
どっちだ、使ってるのは???

頭を使っていると比喩的に言っておけば丸く収まるのか?

卒論、おおづめ。
いま、一生の中でいちばん頭がいい状態。(笑)
それでもかなりバカなんだけどね。(笑 笑)

便利な主語「人間」

「人間は・・・」

というように、「人間」を主語にすると
述語は何でもよいことにきづいた。

ためしにやってみよう。

動詞
人間は生まれる
人間は死ぬ

形容動詞
人間はバカだ
人間は豊かだ

形容詞
人間は黒い
人間は白い

その他いくつか体言止め
人間は鳥
人間は春
人間は冬
人間は風
人間は夜
人間は虹
人間は雨
人間は猫ひろし

などなど、最後のほうはよく分からないけど、
何か意味深な感じがする。
コメント欄に応援求めます。
主語は「人間は・・・」で。

命のかかったファイル。

学科指定のファイルが売り切れてて、(この時点であり得ない。)
卒論が出せない!!!

こんなのありか・・・。

コクヨ レターファイル色厚紙表紙 フ-550R(赤)A4

http://www.kokuyo.co.jp/
find/catalog/1_detail.php?c1=1112&c2=10&c3=13&sid=11674

このファイルに僕の留年がかかっている。

月曜までに誰か見つけて・・・。(泣)

しんしんかいのバカー。

12/15/2005

そわそわ、いそいそ、とんちんかん。

私、東京都教員候補者の、補欠なのだけど、

今日、説明会が催された。

採用されるかどうかわかんないのに、
公務員としての自覚を持って云々・・・

なんかなぁ。
自覚を持たせたいならちゃんと正規に雇ってよ。(笑)
ま、試験にとおってない自分が悪いわけですが。

ついでに、都庁の展望台にいってきた、
八割方中国人でびびった。

新宿、クリスマスはなんか落ち着かない。
歩いてるだけでそわそわする。

でも、トンカツ屋に入ってトンカツ食ってみた。

空をかついで(石垣りん)

浪人の時に読んでた石垣りんの詩集が愛おしくて、
電車の中で読んでしまった。
何回も泣きそうになった。

いきること、食べること、死ぬこと、

愛という荷物、仕事という荷物、家族という荷物、

空なんてほんとはかつげもしないのに、

かがやきとくらやみの交差する空をかついで、

石垣りんは去年亡くなった。


万が一私が結婚することになったら、
石垣りんみたいな人がいい。

私はこの女に惚れてこんでしまっている。

12/13/2005

俺はあせってマス

サンタさんはいると思いますか?

私はいると思います。

ケン○ッキーフライ○チキンの

白ヒゲの蝋人形みたいなおじさんが、

この時期になるとあの赤い服を着ているからです。

あの服は、何人もの悪い子を殺したときの返り血で

年々深い赤に染まっていくのでした。

そして、12月24日の夜中、

丑三つ時を過ぎたあたりにあの人形は今年も・・・

おもむろに動き出すのです。

ガサッ ガサッ ガサガサッ

わーっ

ホームレスがチキンあさってる!


よーし、今年暇だから町中のクリスマスツリーに
たんざくをつるしてやる。

たんざくの内容は以下の通り。

「みんなつかの間の幸せに気付きませんように。」

「資本主義の戦略でカモられすぎる男がでませんように。」

「うかれてうっかり間違いが起きませんように。」

うーん。心がすれてますな。
でも書いたからのせときます。(笑)

蝶の舌

最近見た映画の中で、
だんとつでよかった。
スペイン映画だった。

なんてかなしいんだ。

「哀しい」
「悲しい」のほかに、
「愛しい」と書いて、
「かなしい」と訓読みできるので、
最近はひらがなで
「かなしい」
と書くことにしていたんだけど、

まさに、
「かなしい」映画でした。
ラストシーンでぞわぞわした。
予想外だった。

いとしみながら、
人を裏切ることのかなしみがここにある
とおもいました。

12/11/2005

笑点、こゆうざさんの日。

笑点、どうでしょう。
圓楽さんがいるときよりもみんな活きがいいぞ。
うーん。

いなくなる前は、
「いなくなったらどうなってしまうんだろう。」
と思っていても、
いざいなくなると何とかなるもんだ。

これ、笑点に限ったことではなく。

ちゃんちゃかちゃかちゃかちゃんちゃん。

12/09/2005

普通

この世で起こることは、

どんなことでも両立する。

普通のことばかりだ。

普通のことを普通のこととして受け止められるまで、

何年かかるんだろう。

12/08/2005

死の味のキス

聖書の中でキリストとユダがするキスのことを、
こう呼ぶことがあるらしい。

新約聖書の中で、
二回キスシーンがあって、
ひとつは老夫婦の、金門の出会い。

もう一つ、ユダがキリストを軍隊にうるときに、
目印としてするキス。

これが死の味のキス。
イコノロジー(図像学)の先生が言っていた。


司会者(アイドルに向かって)
「ファーストキスの味は何でしたか?」
アイドル(きっぱりと)
「死の味でした。」

こんな光景がくり広げられる夢を見ました。

日本語からでられない

今日またまた痛感してしまった。
僕は日本語から出られない。
ドイツ語がこわい。
今日演習で、ドイツ語で発表した。
ほとんどことばにならなくて、
言いたいことの一割以下しか言えなかった。

僕は日本語から出られない。
もう、この時点で自由な思考をしているとは言えない。

EUが、人、物、金を動かそうとして共同体になったけれど
ことばの壁が厚いせいでなかなか「人」が動けないらしい。
ほんとか嘘か知らないけれど私はほんとだと思う。

たぶん私は努力もたりないし、才能も足りない。
つらかった。
みんなの前で泣くかと思った。

まっすぐな道

大学に行った。
新目白通り、ものすごく綺麗じゃないか。

銀杏があざやかで
黄色い道をつくってる

こんな道みたいに
歩む場所がはっきり照らされていたらいいな。



まえぶれを見落とさない そのままを見る瞳が欲しい
噂に汚されない 風を聴き分けられる耳が欲しい
決心を信じたまま まっすぐ歩いていく足がほしい

(川本真琴 「ドーナッツのリング」より)

神的なものにむかって書く

宇顕くんとかの論文と教授と話してて思った。

この世のもの以外のために書く

っていうのは貴いな。

近代以前はそういう芸術作品はいっぱいある。

神、仏、God、Gott、アッラー、根源一者
プラトンはイデア(ギリシャ語わかんないのでカタカナ)
カントはDing an sich(物自体)といった。
ショーペンハウアーWille(意志)
フロイトはes(エス)

などなど、何か世界の背後にあるもの名づけは違えど何かある。
その「何か」が彼岸の世界だと思うのだ。

キトラ式古墳、ステンドグラス、宗教音楽、

などなど、まだ少ししか知らないけれど、

人以外のものとの通路をひらくために描くということも
とても大切なんだ。

神は死んだというけれど、
結局それは人が神を要請しなくなってしまったということか。

信仰っていうのはおそらく人と神的なものとの相互作業なのに、

人間が現世しか考えなくなっちゃったってことなのか。

いっぱい変なことを書いたけど、
私の感覚で言うと次の一言になってしまう。

「天までとどけー!!!」
って書くこと。
これが大事かなと。

なかなかつらい。

一つのことを完成させようっていうのは、
なかなかつらい。

たいしたことない卒業論文なのに、
もう、どうしたらいいのか分からない。

でも、

どんなに他人に力を借りても、
最終的に自分自身を救うことができるのは
自分自身でしかないのだからくじけてはいけない。

苦しいことがあるときは成長のチャンスなんだ。

自分にあててメッセージを書いたら少しよくなった。

12/04/2005

すごい人がいるもんだ。

私のした解釈なんかよりももっと興味深い解釈してる人がいるよ。
no4560さんという方。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/customer-reviews/B00005G74U/
ref=cm_cr_dp_2_1/250-6142170-8411446?%5Fencoding=UTF8
この方がしっくりくる。
すごいな。

ということで、私の非力さを知りました。
磨きます。

12/03/2005

円環する歌詞「川本真琴」前半戦

どこから手をつければいいのか。
かなり大きな存在なので狼狽してしまう。
が、決めた。

まず、名言から
「やっぱり笑顔が一番ねって、
あ、でもあたし二番目もホントだよ」

二番目もホント。
私自身の多層化、泣いてる私も、困っている私も、私。
ということなんだろうか。

次、
1stアルバム「川本真琴」について。
これ、アルバムのタイトルです。

このCDのCMのとき、
「川本真琴ファーストアルバム「川本真琴」」
と確か言っていた。と思う。
概念がやばい。私自身が私の曲というような。

で、歌詞の内容に行くわけですが、
歌詞カード(ポスター)に
大きな文字で出てくるものが
二個ずつあるのだけれど、
曲順にその歌詞を拾っていくと、

1.10分前
地下鉄の階段いっことばし(a)
ねぇ 神様 チュッ チュッ チュッ(b)
2.愛の才能
地下鉄の階段・・(a)
明日の一限までには 何度も キスしようよ(c)
3.STONE
MARKETでみっけた しみだらけの地図をひらいてみる(d)
MAMAが1限をサボって聞いてた(c)
4.DNA
カーブでふざけてコーラをこぼしたあの夏の地図は(d)
ほどけない重なる指何度も確かめてみた口笛を・・・聴かせて(e)
5.EDGE
街も人も渋滞のライトもBonnieとClydeには綺麗だったの(f)
眩しくて憂鬱な身体が ほどけない眠れない(e)
6.タイムマシーン
渋滞の八号線(f)
ひとりぼっちでいなくちゃダメなの?(g)
7.やきそばパン
ひとりぼっちで屋上 やきそばパンを食べたい(g)
Lesson&Lunch(h)
8.LOVE&LUNA
昼間の明かり抜け出したらケッコンしよう(i)
Love&Luna(h)
9.ひまわり
バス停に一本だけ咲くひまわり(j)
いつも太陽のほうに伸びていくのが くすぐったそうだった(i)
10.1/2
おじぎのひまわり通り越して(j)
神様は何も禁止なんかしてない(b)

となるのです。

地下鉄の階段(a)
一限(c)
地図(d)
ほどけない(e)
渋滞(f)
ひとりぼっち(g)
&(h)
日(明かりの日と陽の日)(i)
ひまわり(j)
神様(b)
が共通して遣われています。
つまり、一つのものを二つ以上の視点から眺めています。
曲が変わっても歌詞の連関があるわけです。

円環する歌詞。

これに気がついたときこの人やばいな、
今まで聴いてた人とは違うな。
と思ったわけです。

今ではBOOKOFFで105円です。
面白いと思った人は買って聴いてみてください。

まだ、書き足りないのでこのアルバム以降のものは、

また今度。

ワンドリンク制

ワンドリンク制でカラオケしてきた。
冬、男二人。

4時から日本酒をあおって、
唄って
そのまま家庭教師へ。
不謹慎教師ここにあり。

でも、昔の先生(旧制中学)は
煙草すったり、酒飲んだりしながら授業したらしい。

にもかかわらず、今の教師とは比べものにならないくらい
物事よく知っていたらしい。

嘘かもしれんが、私はほんとだと思う。

唄、やはり、「名もなき詩」と「LOVEはじめました」
は歌詞が面白い。
ほんとは川本真琴全曲唄いたいけど、声帯的に無理。

前音楽雑誌を見てたら、川本はランボーだ。と書いてあった。
これ、ダジャレか?
でも、本当に歌詞がすごい。
具体例は、また明日にでも。
あしたまにゃーな。

12/01/2005

星空の上、「歓喜に寄す」

ベートーヴェン第九の四楽章にある詩よりも、

元々のシラーの詩は少し長い。
しかも以下が割愛されてしまっているようだ。

Unser Schuldbuch sei vernichtet!
  ausgesöhnt die ganze Welt! 
  Brüder- überm Sternenzelt
richtet Gott, wie wir gerichtet.

貸しも借りも水に流そう、
  全世界よ和解せよ、
  兄弟たちよ、-星空の上で
神はさばく、われわれはさばかずとも。(たぶん手塚富雄訳)

Our debit ledger is destroyed!
 reconciliation the whole world!
 Brother over the star tent
arranges God, as we arranged.(直訳)

英語にしたのは結構適当ですが、
日本語にするよりニュアンスが分かると思ったのでしてみた。
変な訳だったらすみません。

好みを言うと
”überm Sternenzelt”がいい表現です。
意味を広げると、
「天幕のように満ちる星空の上で」
くらいの意味のはずです。
冬に星をみてたら、くらくらするよ。

年末に日本でよく歌われるのは、意味が分からない。
と僕の好きな教授は言うけれど、私には何となく分かるな。

たしか落語にも年末を乗り切れば、
ツケは払わなくていいっていうのがあったから。
町人が悪知恵しぼって言葉で逃げ切るはなし。

結局、年末に日本人は全部水に流して、忘れるんだ。
これって、かなりすごい寛大さ。
別のいい方すれば、
責任取りたくない人がいっぱいいるとも言えるけれど。

Schuldbuch(借金帳簿)って言う意味になるから、こんな解釈もありかな、と。閻魔帳(えんま帳)に近い概念かな。

とにかく、シラーもベートーヴェンも冬も星も素敵。